映画レビュー:火天の城 ~ただのチャンバラ青春エンターテイメント作品~

どうもこんにちは。

さて、今回は火天の城の感想を書きたいと思います。
評価は以下の通り。

① 2.5点(その映画の分野での評価、満点5点)
② 1.5点(一般的な意味における「映画」での評価、満点5点)
③ 【見るべきではない】(結局、見るべきか)

結論、これは見る必要ありません。
Yahoo映画の点数がまだマシであり、内容もまともそうだったので見たわけですが、今となっては後悔の念しかありません。

あらすじとしては、安土桃山時代の番匠岡部又右衛門が織田信長の命により安土城を築城するというものです。それ以上でもそれ以下でもありません。
まず①について。この映画は、史実を再現したいのか、チャンバラ青春エンターテイメント時代劇をやりたいのか、どっちなのかがわかりませんでした。ここまでブレブレなのは初めてです。
この映画で見ものであるものと言えば、岡部又右衛門ただ一人の職人技、職人根性と、安土城が完成へと向かう段階をCGや木工建築技術の再現を通して、つぶさに見ることができることぐらいです。いや、それが見れたらそれでいいのですけれども。
その純粋な歴史的事実を邪魔している演出として真っ先に気になるのは、架空の人物たちの無駄な恋愛劇です。主人公以外の恋愛沙汰を長々と、しかも複数組見せられても何も感じない。さらに、無駄な死と無駄なチャンバラもあります。もちろん、安土城築城を通して、実際におびただしい人間が様々な理由で散って行ったとは思いますが、この映画のそれらの描き方は、異様に不自然かつ不必要なのです。ロマンス劇をやるために用意された人間、悲劇を演出するために用意された人間がいるわけです。邪魔です。
チャンバラシーンが発生したときは、驚きました。それまでで既に面白くなさにうんざりしていたからです。あれはなんだったのでしょうか。あきれて口がふさがりませんでした。
少々ネタバレとなりますが、私が唯一フィクションでも許せるなと思ったのは、木曽の杣人のくだりぐらいでした。築城に際して本当に木曽のヒノキを使用したのかは私はわかりませんが、仮にそうだったとしたら、このエピソードはかなり自然で、そういうこともあっただろうなあ、と思わせるものでした。それぐらいです。

さて②についてですが、まず、この映画は冗長なのです。2時間20分も必要ないでしょう。無理やり無駄な架空のエピソードを詰め込んで、一般的な映画の尺に引き伸ばしたとしか思えません。
また、役者の演技に関して、基本的にはベテランぞろいで安心なのですが、芸人の起用が目に付きました。秀吉役の次長課長河本氏で既においおいという感じでしたが、大阪商人役(?)のココリコ遠藤氏の登場は、「ハア?」という感じでした。こういった、芸能界のお遊び的なものは、私は全く好きではありません。不必要です。
続いて(言うことがありすぎる)、人生訓の多さが鼻につきました。ことあるごとに、人生訓が登場する。正直余計なお世話です。やかましい。
特に、ネタバレですが、「女は笑顔を絶やさないものです。」という、岡部の妻のセリフにはイライラしました。父親直伝のそういう家訓が、実のところそれを利用して女性が抑圧されているということに、彼女は気がつかなかったのでしょうか。それとももはや絶望して、逆にそう言い聞かせるしかなかったのでしょうか。なぜ笑顔で感情を覆い隠す必要があるのか、しかも、女性限定です。意味がわかりません。結局そういいながら一家の中で真っ先に死んでしまいます。彼女自身は「よかった。」と言っていますが、どうも私には不憫でなりません。岡部の娘に、最終的に「母さんの気持ちがわかった。」的な発言をさせている点からも、結局「女は笑顔を絶やさないものです。」というありがた~い訓示を修正する気はこの監督や脚本家にはなさそうです。
岡部と戸波清兵衛が月見酒の場でのたまう、「女は強い!ガハハハ」というのにもうんざりです。そういう風に表面上負けている風に片付けて、実際は抑圧し、そしておめでたいことにそれに気付かないわけです。

もう文句を言い出すときりが無いのでこのあたりでやめておきます。
原作は、映画よりかなり良いらしいですが、今のところ読む気はありません。気になった方はどうぞ。
結局、題材がまともで地味だから、エンターテイメント性を付け足す衝動に駆られ、その結果失敗したという時代劇のタイプの典型だなと思いました。
現場からは以上です。