読書感想:デカルト 「われ思う」のは誰か 斎藤慶典

どうもこんにちは。

さて、斎藤慶典氏の『デカルト 「われ思う」のは誰か』NHK出版、の読書感想です。
ただ、少ししか書きません。いや書けません。

斎藤慶典氏は、有名な中島義道氏が「自らも哲学している人間」として挙げられていた内の一人だったので、興味を持った次第です。
この書籍は、氏がデカルトの、主に「方法序説」と「省察」の内容に関して自ら考察した著作です。
主要な論題は、目次を見ればわかりますが、
① 方法的懐疑
② 「私」とは何か
③ 「われ思う」に他者はいるか
の三点です。①をふまえたうえで②を考察し、同様にして③を進めながら、最後に②と③を総合して考察する、いや考察せざるを得ない、という展開になっています。

ここで注意すべきなのは、氏はデカルトの専門研究者ではない、ということです。つまり、この著作はデカルトの一般的な信頼に足る解説書ではない、ということです。
しかし一方で、私個人はこれは、デカルト哲学の信頼に足る解説書になっていると思っています。正直言って、私はデカルト研究者ではないし、しかも純然たる哲学門外漢で、デカルトの著作は「方法序説」をさっと一読した程度(さっと一読できるわけがない)で、この書籍の役割、重要性を断ずる資格は一ミリもないのですが、しかしこの著作がデカルト哲学の理解の手助けになることは間違いないと思います。
というのは、まず、作者独自の結論がほとんど示されていないと言っても過言ではないからです。そして、デカルトの思考を丁寧に追っている、丁寧な追っていき方を教えてくれる。
デカルトの著作を精読し、デカルトの方法に完全に立脚した上で、デカルトの行っている論証を丁寧に追っていき、時に気になる点を指摘しながら、デカルトの導いた結論を目撃する、ということしか行っていません。つまり、デカルト哲学をほぼ全く捻じ曲げることなく、純粋にデカルトと一緒に、「哲学を行っている」だけなのです。
ただ、最後も最後の箇所では、展開が速くなり少々読解しづらかったように感じましたが、非常にエキサイティング(この感情は必ずしも哲学的に良いとは限らない)で、決して難解ではありません。

以上、結論を言うと、この書籍は、デカルトの思考を丁寧に理解することができる一方で、哲学という行為一般を我々に示してくれます。その意味で、この書籍はたいへんおススメです。

この書籍は2017年12月現在では、もう絶版となっているようです。
このような、真面目で有益な書籍が書棚から失われるというのは、残念なことです。

それでは。

私的感想:
この書籍をよんでいて、やはり今のところ私は哲学をするには向いていないと感じました。というのは、この問題に関して、非常に面白いとは思うものの、「自分で考える」のは面倒くさいなあ、と思ってしまうからです。
思考に怠惰な人間ほど哲学に向いていない人間はいません。
そういった点でも、逆にこの書籍は有用でした。