北陸旅行(6) [金沢神社、兼六園、金沢城etc.]

どうもこんにちは。
北陸旅行の4日目続きです。

金沢神社


前回の続きからです。金沢神社。
主祭神は菅原道真、白蛇竜神、琴平大神、白阿紫稲荷大名神、前田斉広、前田斉泰のようです。ちょっと多いですね。。。
社殿が小さく、言ってはなんですが迫力に欠け、色も鮮やかなので最近の建築かなと思いきや、明治 年築の国指定登録有形文化財です。

ここはオリジナル御朱印帳があります。

かなりいいデザインだと思います。

御朱印はこちら。

御朱印をいただくと、しおりのようなものが記念としてもらえます。
こういうの良いですよね。しおり集めるのも結構好きなんですよ。

wikipedia-金沢神社

続いては近くの神社です。

石川護国神社


主祭神はもちろん、石川県の国事殉難者の方々です。
御朱印です。

wikipedia-石川護国神社

さていよいよ金沢城エリアに入っていきます。

成巽閣


成巽閣の入り口はこんな感じです。左の建物は辰巳長屋といって1882年築の県指定有形文化財です。
中に入ります。

成巽閣は、1863年、加賀藩13代藩主前田斉泰が母の眞龍院のために建てた建造物です。国指定重要文化財。
写真はありませんが、ここはとにかく内装がすごい。群青の間など、滅茶苦茶お金がかかっていて豪華な部屋がたくさんあり、見ごたえは十分です。
一方展示品はあまり記憶に残っていません。調度品などが多かった気がしますが、時期によって展示品も変わりますのでご自身で事前に調べてから行ってください。

成巽閣は図録があります。1000円は優に超えたと思いますが、写真と文章で成巽閣が詳細に解説されており、買う価値は十分にあると思います。

wikipedia-成巽閣

成巽閣は兼六園と直接つながっているのですが、私は一旦出てから兼六園に入りました。
おそらく小立野口という入り口から入ったと思います。

兼六園

さて、言わずと知れた日本三名園の一つ、兼六園に遂にやってきました。

元々は1676年建造の、4代前田綱紀の別邸庭園が起源のようで、そこから改築・整備を繰り返して現在の回遊式庭園となったそうです。
回遊式なので歩き回りますが、とても広いので全部回ろうとするとかなり時間がかかります。
私はほぼ直進する感じで金沢城の方に抜けるルートで歩きました。


これは鶺鴒島というらしいです。


どんどん歩いていきます。
この銅造は日本武尊像らしい。日本最初の銅像と言われているようですが、まあ真相は分かりません。


これは内橋亭ですかね。ここは非常に風光明媚です。

wikipedia-兼六園

さて、兼六園を出ます。
次はいよいよ金沢城です。

金沢城


兼六園側から入場するので、まずは石川門から見ることになります。

石川門は江戸期から現存しているもので、現在国指定重要文化財です。
金沢城の建物はなまこ壁が目を引きます。
正直言って現存はここと三十間長屋ぐらいしかないので、現存建築目当てだと結構出落ち感がありますね。
石川門・櫓の内部に入れたか記憶がないんですが、おそらく入れなかったと思います。


さて三ノ丸に入りました。
見えているのが、平成に復元された橋爪門や五十間長屋です。ここは内部見学できました。

金沢城は言わずと知れた加賀百万石の加賀藩の政庁でした。
その後は軍の居所となり、戦後は金沢大学が敷地を利用していました。
wikipediaに大学利用時の航空写真がありますが、思い切り大学キャンパスとしてビルが建てられていて笑ってしまいます。まあ当時はどこの城跡にもよくあることでした。
城跡に学校とはどういうことだと思ってしまいますが、それほど軽く見てしまうほどの時間しか経っていなかったということです。
「城址公園になる」ということが、いかに明治維新から時間が経過したかを物語ります。
歴史を客観的に捉えなおすには、これほどの時間を要するということです。


素晴らしい。


これは菱櫓で、やはり最近再建されたものです。


さあ橋爪門に入ります。


裏からはこんな感じです。


これは橋爪門続櫓の内部から。


さて飛びますが、二ノ丸広場を突っ切って玉泉院丸庭園にやってきました。
二ノ丸広場、特に何もないので写真も撮っていません。


この庭園はめずらしく立体的で、かなり見ごたえがあります。
これも最近復元されたものなんですよ実は。
ちなみに石垣の上に見えているのは、先ほど言及した現存の三十間長屋です。重要文化財。
ここで注意なのですが、三十間長屋は見学可能なものの、実は終了時刻が他より早いです。
再建物は16時回ってもまだ開いていたと思いますが、三十間長屋は15時30分で終了していたような気がします。
私はこれを知らなかったので、時間が遅すぎ、三十間長屋の内部見学ができませんでした。悔いが残ります。
現存目的の方は三十間長屋を優先して回ってください。


旧第六旅団司令部(写真撮り忘れました)を横目に二ノ丸公園の外側を時計回りにぐるっと回り、再び三ノ丸に戻ってきました。


これが北側にある河北門で、平成の復元です。石垣が真新しいですが綺麗。
ここから出ることにします。


新丸公園に出ました。右に見えるのが菱櫓ですね。

とても広々としてすがすがしいです。
夫婦が「こっちこっち~」と言って、小さい子供がよたよた歩いていき、「よっしゃ良い子や~」と抱き上げられる定番のあれを目撃し、感動とともに空しさが去来しました。
私の人生にこのような瞬間が訪れることが想像ができません。

wikipedia-金沢城

さて、寂寞たる気分になりつつ次は尾崎神社に向かいます。

尾崎神社

尾崎神社は、金沢城の北西に位置してます。

到着です。
尾崎神社は元々東照三所大権現社として金沢城の北ノ丸に建立されましたが、明治の神仏分離令で尾崎神社に改称、さらに陸軍の駐屯により現在地に移動させられたらしいです。
祭神は天照大神、東照大権現、前田利家です。極めて無難な祭神チョイス。


この尾崎神社、元が東照宮なだけあって、なんと境内の建物のだいたいが国指定重要文化財です。
小さいですが見ごたえはありますよ。


本殿ですがほとんど良く見えません。なぜか縦写真です。


境内の様子です。
そして、今回中門の写真を撮り忘れていました。素晴らしいだけに悔やまれます。

御朱印です。

ここの宮司さんは恰幅がよく、低音ボイスの気の良いおっちゃんでした。
宮司さんはこういう元社長、元首長みたいな人が多いですよね、なぜですかね~~。

さて、もう17時近いですがまだ行動します。
次は主計町茶屋街です。

主計町茶屋街


主計町茶屋街は重伝建に指定されています。
川沿いだけですが、とても綺麗な町並みです。明治ごろから繁栄したもよう。
表からは何の店かも分からない、一見さんお断りっぽい店が乱立しています。
ひがし茶屋街のようなオープンな雰囲気は感じませんでした。


このときは町並みにあまり興味が無かったのと、良い写真を撮ることにもそれほど関心がなかったので、写真はこれぐらいしかありません。。。
もっと探索すればよかったです。

続いてはひがし茶屋街に向かいます。

ひがし茶屋街

主計町茶屋街からは徒歩10分ぐらいだと思います。
他のサイトでも言われていましたが、基本的に金沢はバスに乗る必要はあまり無いと思いますよ。
順序だてて移動していけば、主要スポット間の距離はそんなにありません。
ただ、宝円寺とか天徳院に行くなら、バスの方がいいと思います。ちなみに私は今回行ってません。


到着です。ここはやはり人がとても多いです。
ひがし茶屋街ももちろん重伝建。


一人旅の自分としては、人が多いところはやはり居心地が悪い。。。
時間も遅いし、あまり関心もなかったので、どこかの店に入ったりもしてません。重要文化財の「志摩」などは是非入るべきでしたね。


ここは主計町茶屋街よりはかなり規模が大きく、歩いていて面白かったです。

はい、という感じで私の金沢の観光はだいたい終わりです。
このあと近江町市場で海鮮丼を食べました。
あまりお金が無かったため中途半端な値段設定の店に入ったのですが、結果的に味は普通でした。
やはりどうせ海鮮丼という本来高額なものを食べるなら、思い切って高額な店に入ったほうが良い、ということが良く分かりましたね。笑
皆さんは是非躊躇せずに良いものを食べてください。

次回は金沢から芦原温泉に移動する道中の寺社を回ります。
それでは。