どうもこんにちは。
さて、今回は単発記事の関西日帰り旅として、京都の三十三間堂について書こうと思います。
三十三間堂は、京阪電鉄七条駅から東へ徒歩10分ぐらいで着きます。アクセスは簡単です。
ほぼ京都国立博物館の真ん前ですね。
周辺の観光は結構してたんですが、三十三間堂は見所満載すぎでもったいなさがあり、逆に気が引いていました。今回は遂に意を決したという次第です。
さて、とりあえず入りました。脇から見える敷地内。まだ入場してませんよ。
ここから拝観料金を支払って、いよいよ入場です。
とりあえずお堂の外観です。あまりにでかいです。
外観をじっくり見るより先に、中の仏像を拝観することにします。
三十三間堂は、正式には蓮華王院本堂と言って、少し離れたところにある妙法院という天台宗の寺の境外建造物に過ぎません。
もともとは後白河法皇の離宮「法住寺殿」の中にあったもので、一度燃えましたが1266年に再建、以後応仁の乱でも燃えずに残り、現在本堂は国宝指定されています。
京都市市街地にある建造物で鎌倉に遡るのは、ここ以外に大報恩寺本堂ぐらいなので、いかにこの建物が貴重であるかがよくわかるでしょう。
ということで、三十三間堂の中に入りました。当たり前ですが、残念なことに内部写真撮影は禁止なので、内部の写真はもちろんありません。
感想としては、まず、とにかく建物が横に長い。長すぎる。笑
半分に到達するまでで既に長く感じました。
また仏像もとても見ごたえがあります。一番の見所はもちろん大量に整然と並んだ全1001体の千手観音立像です。昔は大量生産技術なんてものはもちろんなかったので、一つ一つ手分けして手作りです。よって、一つ一つに個性があるんですね、よく見ると。きりが無いですが。湛慶作など、誰々作と下に書いてある像がちょいちょいあります。
そのほかでは、鎌倉期作で国宝の二十八部衆像や風神雷神像などもあり、非常に見ごたえがあります。鎌倉期は特に写実的な作風ですから、迫力が段違いです。
そして、驚いたのが三十三間堂のちょうど中央にある、本尊千手観音坐像でした。これは恥ずかしながらその存在を事前に知ってなかったのでびっくりしました。鎌倉期の湛慶作で国宝、そしてかなりの大きさです。迫力満点。
ということで仏像を満喫し、外に出ました。じっくり見てるとかなり時間がかかりましたよ。
お堂の裏手から出られます。これは西門ですね。しかし実はかつて西「大」門があり、それは移築されて現在東寺の南大門となっています。この西門については私は正直よくわかりません。
さて、この写真で三十三間堂の長大さがよくわかるでしょうか。
本当に長いですよ。デカさの形容で「長い」と言ってしまうのはここぐらいじゃないでしょうか。
すいません、あんまり言い過ぎると、読んでいる方が始めて行ったときに感心できなくなりますね。
真正面からです。年月と格式から来る重苦しい威圧感を感じます。
さて、こちらが三十三間堂の御朱印です。中で書いていただけます。
オリジナル御朱印帳もありますが、デザインが簡素なのと、私の懐事情により、今回は購入を見送りました。。。
あと、パンフレットです。
パンフレットは何種類かあり、写真と文章のバランスがいいと思ったので、これを選びました。
こんな感じで一旦終わりです。外に出ましょう。
さて、東側に出たところです。
先ほど言及した法住寺や養源院などが向かいにあります。
さて、奥に門らしきものが見えますね。あれが、三十三間堂の南大門です。
近くまで来ました。
かなりでかいです。
豊臣秀吉寄進の桃山期建築で、重要文化財です。もともとは方広寺の南門でした。つまり、三十三間堂も方広寺の境内にあったということです。
方広寺、桃山期の間だけは繁栄して滅茶苦茶でかかったですからね。
柵で近づけません。
土塀っていいですよね。結構好きです。
全国の寺社には、かつての権力者が寄進した土塀がちらほら残っていたりしますが、
立派な土塀を見てると在りし日の雄大な姿が想像されます…。
ということで、今回はここまでです。
関西日帰り旅の単発記事はこれからもちょくちょく書きますよ。
それでは。