どうもこんにちは。
さて、北陸旅行6日目です。
瀧谷寺
まずは早朝から三国の古刹、瀧谷寺に向かいます。
三国駅からだいたい徒歩10分ぐらいですかね。
先の鐘楼門は国指定重要文化財。1600年ごろの建築のようで柴田勝家寄進と伝わるそうですがどうなんでしょうか。。
鐘楼門をくぐるとまずは本堂です。
本堂は江戸時代中期の建築で重文です。
瀧谷寺は1375年に睿憲という僧侶が開山となり、以後は様々な大名の庇護を受けて繁栄したようです。
宗派は真言宗智山派です。
私が行った時は、たしか本堂でお寺の方から堂内の解説をしていただいたと思います。
見所が多いお寺などは解説をしていただいたほうがありがたいですよね、色々聞けますし。
あんまり見所のないところはかえってしんどいですが。。。笑
さらにここは国指定名勝の庭園があります。
これは客殿からみたはずで、おそらく本堂と客殿、観音堂がつながっていたと思います。
いったん外に出て、宝物館に行きました。
たぶん国宝の金銅宝相華文磬を見れたと思うんですが…。記憶が無い…。
内容は充実していたと思います。
境内の様子。
右の見切れてる建物が観音堂です。室町の建築のようですが、江戸時代に大改築があったらしいです。これも重文。
他にも重文の開山堂や鎮守堂などがありますが、写真はありません。
最後に、まず瀧谷寺のガイドブックです。こういうのは本当にいいですよね。このサイズも好きです。
あとは、もちろん御朱印です。
ということで、瀧谷寺を後にしましょう。
雰囲気はいいんですが、ちょっとこの緑のカーペット的なのはイマイチですね、笑。
さてここから三國神社に向かいます。徒歩で!
だいたい30分もあればつくと思います。
ということで道中の写真もないわけですが、三國神社到着です。
三國神社
北から入ったので、変な順番になりますがいきなり拝殿から見ていきます。
旧社格は県社、祭神は大山咋命、継体天皇です。
社殿は江戸時代末期築のよう。
さて、出ます。北から入ってしまったので、南から出ます。
これが県指定文化財の随身門ですね。これだけの随身門があるのはなかなか珍しい。
境外から。
しかしなんだかこの随身門、微妙な感じがするのは私だけでしょうか。カラーリングのせいですかね…。
おそらく微妙に朱色に塗られているんですが、中途半端なはげ方をしていますし、そのわりに白色のほうはよく残っています。またよく見ると青色の三角形薄板を貼り付けてあるっぽいんですよね。それがギザギザに見えて、これいらなかったんじゃないのとすら思えてくる。さらには時期的な問題で雪よけ用の門も追加されてしまっているのがまた残念です。
さて、三国神社駅に向かいます。
これはどこだったか忘れましたが山車庫ですかね。三国祭というのが県指定無形民俗文化財とのこと。
三国神社駅から電車に乗り込んで、次は丸岡城を目指します。
丸岡城、実は結構アクセス悪いんですよね。駅から遠い。
私の場合はまずあわら湯の町駅に到着後、バスで芦原温泉駅に行き、そこから丸岡駅へ行って最後にそこからバスで丸岡城に向かいました。
正直、このルートが速かったかといわれると今となってはなんとも言えません。
そんなこんなで丸岡城に到着です。三國神社を出てからはや3時間ほどが経過してしまいました。
あわら湯の町駅と芦原温泉駅、電車でさっさと繋いでくれませんかね~。
丸岡城
この丸岡城、現存十二天守の一つです。
巨大な入母屋屋根の上に小さな望楼を乗せた古いタイプの天守(ex.松江城等)で、最古の天守と謳っていたものの、2019年に寛永年間の建造ということでどうやら違っていたことが判明したらしいです。でも、坂井市の観光サイトでは未だに最古って書いてますけどね、、笑
入りました。
丸岡城はご存知のとおり丸岡藩の藩丁でした。屋根瓦は雪の多い北国ということで石瓦です。
かっこいいですが、天守がポツンと立っているだけなのは少々寂しい感。
近くには丸岡歴史民族資料館があり、城主所用の品などの展示があって小規模ながら見ごたえはありましたよ。
天守からの眺め。城下町ですが、そこまでの見ごたえはないんですよね…。
さて、丸岡城を後にして、福井市に向かいます。
この日の宿が福井市にあったわけですが、限界まで市内を観光します。
というわけで福井駅に到着。
まずは柴田神社です。
柴田神社
名前のとおり、主祭神は柴田勝家。
柴田神社は柴田氏時代の北ノ庄城跡地に築かれたらしいですが、結局本丸の位置はハッキリとはわからないとのこと。
本殿は三間社流造。新しいですがなかなか優美な姿です。
これ、なかなか怖いですよね。怨念感があるというか。笑
まあ、柴田勝家は最終的に秀吉に滅ぼされたりと、かわいそうな最期ですしね…。
それでは次に向かいます。佐佳枝廼社です。
佐佳枝廼社
佐佳枝廼社。とりあえず読み方がわからない。
どうやら”さかえのやしろ”と読むらしいです。わからねえ~。
非常に爽やかな境内です。ただ向こうのビルがなければ、なお良かったのですが。
旧社格は県社、主祭神は徳川家康、福井藩藩祖の結城秀康、16代藩主松平慶永(春嶽)です。
昔からあった東照宮を、明治に創建したこちらが合祀し、最期に松平春嶽を合祀したらしいです。
御朱印はこんな感じ。
ちなみにここは、御朱印初穂料が志納です。
続いて福井神社。
福井神社
ここの主祭神は先ほどの佐佳枝廼社でも祀られていた松平春嶽です。旧社格は別格官幣社で現在は別表神社です。
まあご覧のとおり、かなり変わった神社です。社殿が。
最後の別格官幣社として1943年に創建されたものの、戦争で焼失、その後ご覧のようにコンクリート打ちっぱなしの近代的な建築として生まれ変わったらしいです。ここまでの近代建築アレンジは、ここぐらいしかないと思います。
まあ正直、違和感しかないですよね…。寺社はやはり木造和風建築が一番適切だと、個人的には思います。
さて慌しいですが、福井城を横目に次は神明神社です。
福井城
福井城。本丸の石垣は立派に残っていますが、中はなんと現県庁が屹立しています。
まあ役割としては正当な後継者なんですが、史跡としてはなんとも悲しい現状です。
このときはまだ里口御門の復元の真っ最中でした。画像左隅らへんの工事現場がそれです。
ということで石垣や縄張りマニアでもない私はそそくさと退散します。
神明神社到着。
神明神社
ここも旧社格は県社で現在は別表神社です。主祭神はもちろん天照大神。
社殿はやはり戦争で焼失後、コンクリ建築として再建されたものです。
はい、そんなこんなで本日の最後は福井市立郷土歴史博物館です。
福井市立郷土歴史博物館
ここはその名のとおり福井市の博物館ですが、福井藩というと16代藩主松平春嶽をはじめ、橋本左内や由利公正など興味深い人物が多いのでそれ関連の資料も多く、見ごたえは十分ありました。幕末好きなら楽しめると思います。
図録があったので買いました。
ここは養浩館庭園という、越前松平家の元別邸で国指定名勝の庭園に隣接しています。
養浩館庭園
まああんまりいい写真はないですが何枚か。
建造物はやけにきれいに見えると思いますが、そのとおり、再建です。例によって戦災で焼失したらしい。戦災焼失多すぎる。
ほぼ完全な再現なので、中も非常に美しく、見ごたえがあります。ずっと座って庭園を眺めていたい気分でした。
こんな庭、ほしいなあ。。。
ということで、6日目はこれにて終了です。
晩御飯は市内にある「ヨーロッパ軒」にて、ご当地B級グルメのソースカツ丼を食べました。かなりおいしかったです!
次回は7日目、遂に今回の旅最大の目的である、あの曹洞宗大本山、永平寺へと向かいます。
それでは。